ドイツの森の散歩道 2020〜

ドイツ生活はや10年以上。これまでのブログはexcite blog「ドイツの森の散歩道」

小さな村ですれ違う私にも名前を紹介。ドイツのママは名前を無くさない

通勤ルートの高速が工事、迂回路でたまたま通り抜けた葡萄畑の中の小さな集落が可愛いかったので帰宅途中に寄り道をしました。

 

木組みの家並みを歩いていると、可愛いブルーの花柄サマードレスを着てキック式の自転車に跨った姉妹らしき女児2人とママさんが向かい側からやってきました。


すると、5歳くらいのお姉ちゃんがニコニコ話しかけてきました。

 

「ハロー! 私たちね、もう自転車に乗れるの!」
「…わー、それはすごいね!」
「それにね、今日は妹の誕生日なの。3歳になったのよ!」
「おめでとう! なんていう名前?」
「ニーナ。私はクリスティアンヌ、私のママはジモーネっていうの」

 

 

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…ママさんの名前まで紹介してくれちゃうのが、とてもこちらっぽいな、とややたじろぎつつ、ここは私も名乗るべきなんだろうと


「私はミドリ、日本人なの。日本って知ってる?」
「……」

 

優しそうなママさんが少し困ったように微笑み、
「まだ知らないわね、残念ながら…。あの、こんな村に何か用事ですか?どこか探しているなら道案内しましょうか?」
「いえ、通勤途中でたまたま通って、素敵そうだったので散歩しに寄ったんです、ご親切にありがとうございます」

 

 

ドイツの子育てで驚いたことの一つが「息子の友達が私のことを『ミドリ』と呼び捨てにする!!」ということです。

もちろん、名前を知らないときは「タロウのママ」のように言うこともあるし、小学校以降、少し大きくなってからは「フラウ(ミセス)・タナカ」のように話しかけられたこともあります。

ですが、ファーストネーム呼び捨てとは(笑)

日本人ママさんたちと「ちっちゃい子に呼び捨てにされると、ドキっとするよねえ.…」と苦笑しあいましたが、決して嫌な感じではなく嬉し恥ずかし、といったところでしょうか。

 

「ママ」という概念としての自分でなく「ミドリ」なんだ、と再認識させてもらうような気持ちだった気がします。

 

ちょっと道で会っただけの異邦人にさえ、未就学の幼児が「私のママはジモーネっていうの」と紹介してくれる。

この子にとっても「ママ」で完結する存在ではなく「ジモーネ」という名前の個人、という認識が、周囲の環境や大人同士の接し方から自然に育まれているのでしょう。

 

小さな村ですれ違った母子との何気ない会話でしたが、そんなことを考えて感心し、また温かく幸せな気持ちになりました。ブドウ畑にぽつんとある村が何だか少し特別な場所になりました。