ドイツの森の散歩道 2020〜

ドイツ生活はや10年以上。これまでのブログはexcite blog「ドイツの森の散歩道」

日本人必読図書にしてほしい「流れる星は生きている」藤原てい著

藤原ていさんは「国家の品格」が有名な藤原正彦氏のお母さんです。

 

満州の観象台に勤務する夫と暮らしていた新京(長春)で終戦を迎え、連行された夫は生死不明の中、1年かけて母親一人で、7歳、4歳、生後3か月の愛児3人(うち、一人が当正彦氏)を連れて引き揚げを敢行、故郷である諏訪にたどり着くまでの壮絶な体験が記されています。

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満州に移民した日本人の戦後の艱難辛苦はさまざまに伝えられていますが、当時の様子を母親の観点から書き表しています。

 

終戦が伝えられ、最初は同じ集落でまとまって行動していたのが、誰もが自分のことで精いっぱいな状況で、さらに懐具合や健康状態、家族構成によってバラバラになっていきます。

引き揚げの情報が錯綜するなか、なんとか命をつなぐため、早朝の市場で野菜くずを集めたり、食堂で働いたり、ロシア軍の駐屯地に乗り込んで余り布をもらって手作りした人形を販売したり、日本人富裕層の奥様から着物を預かって代理販売、そして高級住宅街の一軒一軒を尋ねての物乞いまでします。

いよいよ38度線を越えるとなり、幼子3人連れて徒歩で避難中、知り合いに上の子供二人を託すも山の中に置き去りにされ、雨の中、半裸で冷え切った体で泣いている二人を偶然発見して再会したこともありました。

ひたすら家族で帰国することだけに向かって、最後はほとんど「四つん這いで」山を越え米軍の保護に入り、帰国することができたのです。

 

この本を読んだのは息子が3-4歳の頃。

ドイツに来て言葉もわからず、知り合いもおらず、辛い育児が続いていました。

 

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引き揚げ当時の藤原ていさんは、まだ27-8歳。

おなかがすいたと泣く子供に何もあげられない、あげる目途もない

無蓋列車に詰め込まれ、病気で下痢便を垂れ流す子供をどうにもできない

自分もフラフラな状態で、河を渡るために3人の子供を順番に背負って往復する、自分が力尽きて流されたら他の二人の子供は孤児になってしまう

。。。など極限状態を、母親としての責任を一身に負って生き抜いてきたのです。

 

やっと米軍保護のキャンプに辿り着いたとき、裸足で歩いてきた足裏にめり込んだ無数の小石を取り除く手術を受けなければなりませんでした。正彦さんも同じく。。。

 

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自分は食べ物が十分にある、家のベッドで寝られる、病気になればお医者さんに行ける。。。そんな状態で子育てできている日常が、どれほどありがたいことか。

言葉ができない、友達できない、生活を楽しめない。。。イジイジとしていた自分の小ささ、贅沢さに情けなくなったのでした。

 

この壮絶な体験はもちろん藤原さんだけでなく、満州からの引き揚げの方々、そして戦後の混乱期、多くの人がこのギリギリの状況を必死で生き延びて現在の日本があるのですよね。

小さい子を持つ親はもちろんのこと、全日本人の必読図書にしてほしいくらいの本です。