たまたま見始めてどハマりしたアメリカドラマ「ニューヨークガールズ・ダイアリー」原題:the Bold Types。
ニューヨークのファッション雑誌社で働くキラキラ女子3人の物語シリーズです。
自分の若かった頃の仕事や恋愛、アメリカ留学時代のことなど思い返しながら楽しく視聴しました。
その中の一人、アフリカ系のキャットは、ヘテロセクシュアルだったのが同性愛に目覚め、アラブ系レズビアンと深く愛し合うという設定。
女性同士が長いキスシーンやベッドシーンを演じるのを見て、正直思いました。
こんなこと(演出で)させられて可哀想…。
女性同士の生々しいシーンは、あまり見たくないな…。
私は個人的には同性愛に偏見が少ない方だと思ってきました。
90年代初頭にアメリカに留学し、同性愛(特にゲイ)の社会的認知度・寛容性が日本とは段違いだったこと。そしてもともと、同性愛の人に対する自分のスタンスも拒絶感は皆無で「そういう嗜好の人もいるだろうね」という感じだったのです。
ところが。
このドラマで女性同士のラブシーンを生々しく見せつけられると、正直あまり画面を正視していたくない。
男性同士のラブシーンのある映画やドラマは見たことがないし、やはりあまり見たくはないけれど、ゲイに対しての方が心理的に抵抗感が少ないかも。
アンディウォーホルやエルトン・ジョン、カールラガーフェルドなど、ゲイを隠すことなく世界的に認知されているアーティストはすぐに数名思い浮かびます。
それに比較し、レズビアンの方は…あまり思い浮かびません。真っ先に浮かんだのはボーヴォワール…でも彼女はサルトルというパートナーがいたし、バイセクシュアル?
だからゲイに対しての方が抵抗感が少ないのかしら。
女性同士のラブシーンに感じる抵抗感はどうしてだろう?
…などと考えていて、理由は「レズの人たちは肉体的には自分と同じ女性なのに、自分とは性的嗜好が違うから」ということではないかと気づきました。
日本で参加した集まりで、レズを公言している政治活動家とお話しする機会がありました。
一時期はメディアにも頻繁に登場していた方で、ストレートの黒髪、理知的で整ったお顔、上品な物腰。
会話した印象もとても素敵で、正直思いました。
異性愛だったらイケメンエリート男性達を選びたい放題だろうに…
これも偏見の一種なのでしょうね。
試しに夫に「ゲイとレズ、どちらが自分にとって違和感が少ない?」と尋ねたところ「レズ」との答え。
つまり、夫にとっては「肉体的には自分と同じ男性なのに、性的嗜好が違う」ゲイに対する違和感が大きいのです(だからといって、拒絶や嫌悪、あるいは下品なネタにして軽蔑するということはありませんが)。
私も夫も「自分と違う」ということが「自分と同性の人たちの同性愛」への違和感の原因と思われます。
ちなみにこのドラマ、オフィスの同僚にゲイの男性もおり、思いを断ち切れない元彼が登場しますが、彼らのラブシーンはおろか、軽いキスさえありませんでした。
ということは… 演出を仕切るスタッフが男性だったのかな、と勝手に想像してしまいました。
そういえば、ボーイズラブ系の漫画にはまる女子のことは「腐女子」というジャンルが確立しているけれど、レズビアン系にはそういう造語は聞いたことがないような。